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荒城の月
荒城の月
今回ご紹介する
「荒城の月」
という歌は小学校の音楽の
教科書などにも
紹介されていますので、
知っている人も
いるかもしれません、
しかし、この曲は
ある程度の年数を
生きてきた人が
それまでの人生を
振り返りながら
聞いてみると
子供の頃に
聞いたときとは
また違う
印象を持つ
歌でもあると
思います。
ここから引用です。→
荒城の月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この項目では歌曲の「荒城の月」について記述しています。銘菓の「荒城の月」については荒城の月 (銘菓)をご覧ください。
『荒城の月』 (こうじょう/くわうじやう・の・つき) は、土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲による歌曲。哀切をおびたメロディーと歌詞が特徴。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した名曲。
[編集] 旋律
明治34年(1901年)に中学校(旧制中学校)唱歌の懸賞の応募作品として、瀧廉太郎が作曲した。原曲は無伴奏の歌曲であった。
大正6年(1917年)に山田耕筰はロ短調からニ短調へ移調、ピアノ・パートを補い、旋律にも改変を加えた。山田版は全8小節から16小節に変更し、一番の歌詞でいえば「花の宴」の「え」の音を、原曲より半音下げている。 山田耕筰のピアノ伴奏を用いながら、オリジナルの旋律を歌った例として、米良美一の録音が挙げられる。
[編集] 歌詞
詩は、東京音楽学校が土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したもの。原題は『荒城月』である。詩集への収録はない。
春高楼(かうろう・こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い) でし 昔の光今いづこ
秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿ひし 昔の光今いづこ
今荒城の夜半(よは・よわ)の月 変わらぬ光誰(た)がためぞ
垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌ふ(うとう)はただ嵐
天上影は変はらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月
大変美しい起承転結の構成である。
「千代」とは非常に長い年月を意味し、「千代木」(ちよき)が松の異名であることから、松には長い年月が刻み込まれていると考えられている。その松の枝を分けて昔の「光」を探す情景は、憂いがあって美しい。なお、この詩では「千代」を「ちよ」とよんでいるが、伊達政宗が「千代」(せんだい)を「仙台」(仙臺)と書き改め、現在の仙台市につながっているため、仙台出身の土井晩翠が「仙台」を「千代」と書き、「ちよ」と読みを替えて「仙台」のことを暗に示しているとも考えられる。
雁は、主に東北地方や北陸地方で越冬をする渡り鳥。
歌詞二番「秋陣営の…」は上杉謙信作と伝えられる「霜は軍営に満ちて秋気清し数行の過雁月三更」をふまえたものと思われる。
←ここまで
「荒城の月」
からの引用でした。
また、画像は、「音」が出ますので、「職場」などから、ごらんになっている方は、「ご注意」くださいね(ニコッ)。
荒城の月
春高楼(こうろう)の花の宴(えん)
巡(めぐ)る盃(さかずき)かげさして
千代(ちよ)の松が枝(え)わけ出(い)でし
昔の光いまいずこ
秋陣営(じんえい)の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照りそいし
昔の光いまいずこ
いま荒城の夜半(よわ)の月
替(かわ)らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛(かずら)
松に歌うはただ嵐(あらし)
天上影は替らねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼(ああ)荒城の夜半の月
荒城の月(小林旭)
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