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8時だョ!全員集合
8時だョ!全員集合
今は、インターネットの充実化がすごいものですが、まだまだテレビの影響の方が大きいと思っています。
それは、高齢者の方にとっても、テレビの操作が簡単ということも、一つの要因としてあげられると思っています。
また、昔からいろいろなバラエティ番組(お楽しみ番組)が作られてきましたが、肉まん父さん自身が、「1番おもしろい」と思っていたのは、
8時だョ!全員集合
という番組でした。
ここから引用です。→
8時だョ!全員集合
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8時だョ!全員集合
ジャンル 公開バラエティ番組
放送時間 毎週土曜日 20:00 - 20:54(54分)
放送期間 1969年10月4日〜1985年9月28日(803回)
放送国 日本
制作局 TBS
プロデューサー 居作昌果
古谷昭綱
高橋利明
出演者 ザ・ドリフターズほか
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特記事項 :
撮影:4:3 SDTV
「8時だョ!全員集合」(はちじだよ!ぜんいんしゅうごう)は、1969年10月4日から1985年9月28日に、TBS製作で毎週土曜日の20:00〜20:54(JST)に放送されたザ・ドリフターズ主演のバラエティ番組である。記録的にも記憶的にも日本のテレビ史にも残る、最高の国民的バラエティ番組として現在も語り継がれている。
本項では終了した後のつなぎの番組である「ドリフフェスティバル・全員集合ベスト100」についても記述する。
この記事は、下記のページに内容を分割しています。このテーマに関する情報については、それぞれのページをご参照ください。
8時だョ!全員集合の歴史
8時だョ!全員集合のコント
目次 [非表示]
1 概要
2 番組の構成
3 番組史
4 コント・名物コーナー
5 番組発の流行
5.1 流行語(出演者別)
5.2 流行ギャグ(出演者別)
5.3 名物キャラクター
5.4 名物小道具
6 スタッフ
7 レギュラー出演者
8 男性ゲスト出演者
9 女性ゲスト出演者
10 番組にまつわるエピソード
11 スポンサー
12 ネット局
13 TBS歴代の土曜8時枠
14 備考
15 参考文献
16 関連項目
[編集] 概要
番組名は単に「全員集合」と称されることもある。毎週土曜日、午後8時から約1時間放映し、ザ・ドリフターズによるコントによる前半部分、ゲストの歌のコーナーを挟んで体操や合唱団などのミニコントからなる後半部分から構成されていた。
基本的には生放送だが、1970年代は日劇や浅草国際での舞台公演があったこと、加えてドリフの休暇やスケジュールの都合などで収録・録画での放送となった回もあった(極めて珍しい例として、1975年4月5日放送分はドリフが同じ事務所の「ザ・ピーナッツ さよなら公演」にゲストで出演するため録画となったこともある。また奇しくもこの日の放送分が近畿地区がABCからMBSに変わっての放送だった)。
ただし、16年間すべて連続ではなく、途中1971年4月から9月の半年間は、ドリフの先輩格であるハナ肇とクレージーキャッツがメインを務めた『8時だョ!出発進行』が放送された。
最盛期には視聴率40〜50%を稼ぎ「お化け番組」と呼ばれ、土曜8時戦争と呼ばれる視聴率競争の王者であった。年に数回は9時25分まで約1時間半の放送もあった。MBS「まんが日本昔ばなし」、TBS「クイズダービー」、「Gメン'75」と共にTBSの1970年代から1980年代の土曜夜の黄金期の時代を誇ってきた。
『8時だョ!全員集合』は今の番組のジャンルの概念を徐々に増やして行く役目を果たした重要な「バラエティ番組」であったといえる。
東京近郊や都内(渋谷公会堂や日本青年館が多く、前期には文京公会堂もあり。ちなみに初回は、三鷹市公会堂からの録画放送)や、時には東京を離れ、札幌、新潟、名古屋、桑名、金沢、福岡、宮崎(おおむね、地方局の開局○○周年記念の一環)などにも立ち寄ったのをはじめ、『ザ・ベストテン』でお馴染みのTBS・Gスタジオ(旧社屋で1994年10月2日まで運用していた)を利用した大掛かりな舞台装置(随時、廻り舞台を活用 最後に廻り舞台を使用したのは1985年6月第1週目の土曜日だった)と、身体を張ったコントが小学生を中心とし、子供からお年寄りまで幅広い層の視聴者に熱狂的に受け入れられた。また、生放送ゆえのトラブルも見どころの一つになった。その一方、コントの内容や番組から生まれた流行語が下品という理由で、PTAからの苦情もつきものだった。また、生番組にこだわったため、停電やボヤ騒ぎ、ゲストの負傷等のアクシデントに見舞われた回もあった。
岡本章生とゲイスターズのいる演奏台(バンドステージ)と背景のデザインは年代により変わっている。
初代デザイン 1971年〜1973年前半
2代目デザイン(三角をモチーフにしたもの) 1973年後半〜1975年前半(廻り舞台のある週とない週によりいくつか背景のデザインが異なるが、演奏台は常時同じデザインに固定されている)
3代目デザイン(丸の形をいくつか重ねたようなデザイン デザインの名称は不詳) 1975年後半〜1985年(最終回まで常時同じデザインに固定されている。1回だけ正月の絵画が掲げられていた。) DVDのジャケットやあらすじが書かれている「コントファイル」も一部このデザインが使われている。なお、初期のバンド席(ボックス)には「TBS」(旧ロゴ<1991年9月までのもの>)が入っていた(これは「TBS歌のグランプリ」でも同様である)。
平均視聴率27.3%、最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%。ビデオリサーチ調べ、関東地区にての数値。
また、この番組が全盛期を迎えていた頃はTBSの土曜のプロ野球中継はほとんど組まれなかった。番組関係者による回顧録として
『8時だョ!全員集合伝説』(双葉文庫、2001年刊 ISBN 4575711950)
『8時だョ!全員集合の作り方』(双葉社、2001年刊 ISBN 4575292044)
いかりや長介著『だめだこりゃ』(新潮文庫、2003年刊 ISBN 4104430013)
があり、番組のDVDは2004年のザ・ドリフターズ結成40周年記念と2005年のTBSテレビ放送50周年記念盤の2タイトルがポニーキャニオンより発売されている。尚、前者では肖像権の関係からゲスト出演者が一切出演しておらず(オープニングとエンディングでごくわずかに入っている程度)、かつ荒井注が在籍したときの作品は収録されていないが、後者ではキャンディーズをはじめとしたアシスタントや、ゲスト出演者によるコントも収録されている。
毎週各地で公開生放送あるいは公開録画を行い、番組のセットがかなり大掛かりなものであり、また毎回のように三船敏郎・若山富三郎・田宮二郎・菅原文太・加山雄三などの大物俳優や、当時の売れっ子アイドルを呼んで、しかも彼らが積極的にコントに参加するなど、かなりの予算と労力を要したが故に、かつてドリフのマネージャーを務め、現在ドリフメンバーが所属するイザワオフィス社長の井澤健が「週刊新潮」のインタビューで「時代が変わりすぎて、現在ではもう再現不可能な要素が多すぎる」と語っているほどの伝説の番組となっている。
放送2日前からドリフメンバーやスタッフによる打ち合わせを行ったり(勿論その間、メンバー全員この番組の準備に集中)、「番組がスランプに陥っている」と言う理由で、通常のレギュラー放送を一時休止して(その間は総集編を放送)、ドリフメンバーによる『合宿』まで行ったと言う、今では考えられない事まで行ったほどである。
1980年代の1インチVTRが登場するまで、生放送の同時録画は2インチVTRが使われていたが、当時はテープが高価(60分あたりの当時の単価は10万円)だったため他の番組ではほとんど消去される中、この番組は第2期開始の1971年10月放送分以降1985年9月の最終回までほぼすべての回がVTRテープに記録され保存されている。これが後のリクエスト特集などの特別番組やDVD化に活用された。ただしDVD版の収録に選ばれたコントは、古い作品よりもステレオ放送化された1982年以降のものが比較的多く選ばれている。
[編集] 番組の構成
番組は、下記の順番(20:00〜20:53。20:53〜20:54は、ステーションブレイク)で行われていた。
オープニング
午後8時丁度(TBSは時報が鳴る)になると、いかりやがカメラに向かって大きく指を差しだし「8時だョ!」と掛け声をかける。それと呼応するように、観客席から観客とドリフの残りのメンバー4人が片手を拳にして上げながら「全員集合!」と返し、4人が客席後方から舞台上に登場する。この間、テレビの字幕ではタイトル文字が飛んでゆき、いったん集まって「全集員合」となり、再び集まって「全員集合」タイトルを構成していた。その後、いかりやの「行ってみよ〜!」という掛け声にあわせてオープニングテーマ曲が流れ出す。このオープニングテーマは北海道の民謡である『北海盆唄』の替え歌である。このオープニングテーマの使用は『8時だョ!出発進行』と入れ替わりで番組が再開した1971年10月2日の放送から。それ以前は放送当時のドリフの新曲を使っていた。また、同じ『北海盆唄』の替え歌で『ドリフ音頭』という曲があるが、このオープニングテーマとは別物である(→CM1、前提供、CM2=2分20秒)。
22分コント
この番組のメイン。通称「前半」。代表的なコントは「8時だョ!全員集合のコント」の項の「前半コント」を参照。
ゲストの歌1
アイドル歌手(→CM3=1分30秒)
ゲストの歌2
中堅実力派歌手、二組
少年少女合唱隊
ゲストと共に歌うコーナー。パイプオルガンが奏でるアルカデルトの『アヴェ・マリア』と共にスタートし、司会役のいかりやが神父のような格好、残りの出演者が白いスモックに白いベレー帽で登場する。この衣装に憧れたアイドル歌手も多かったという。いかりや以外のドリフのメンバーは半ズボンを穿いていた。基本型は童謡などをドリフとゲストで合唱。しかしコントでだんだん脱線していく。たいていトリは志村の定番ネタで、『東村山音頭』「ディスコ婆ちゃん」「早口言葉」「ワンダードッグ」「ナターシャとアヤコフ」はこのコーナーより誕生。末期(1983年2月以降)には消滅。のちに『ドリフ大爆笑』のコーナーとして復活。
ゲストの歌3
大御所演歌歌手(→CM4=1分30秒)
ショートコント
通称「後半」、正式名称は「ベスト100」。
(初期の頃を除いて)いかりやは進行役。初めにいかりやの指揮によりゲイスターズが後半のテーマを演奏後、いかりやの「後半参りましょう、後半しゅっぱーつ」で始まる。コントの変わり目には「次参りましょう、次どうぞ」。コントは主に他の4人とゲストによる。落ちの台詞は「コマーシャル(いってみよう)」。
有名な体操のコーナーやヒゲダンスはこのコーナーの一部(→CM5=1分)
エンディング
エンディングテーマは『ドリフのビバノン音頭』(ザ・ドリフターズの往年の名曲『いい湯だな』の替え歌)。中間部分にある「はぁビバノンノン」の部分は加藤茶がゲストの一人にマイクを振りそのゲストが歌う。番組の残り時間によってペースが違う。時間が押してるときはタイムキーパーの(巻け)サインがもの凄く早かったとのちに加藤が他の番組でエピソードを語っていた。
加藤茶の「風邪ひくなよ」「風呂入れよ」「宿題終わったか」「歯磨いたか」「また来週」など色々な掛け声で終了。スポンサー(ライオン歯磨・ライオン油脂(当時、現・ライオン)など)に配慮したものと思われる。
「後半」の後のCM明けに放送されており、ほとんどの場合「後半」が押して途中からの放映になってしまったが、まれに最初から見ることができた(→後提供、CLタイトル=25秒、20:53終了)。
なお、初期には小人レスラーのコーナーもあったが、すぐに消滅した。理由は不明だが、小人レスラーを笑いのネタにする事によって差別やいじめを助長するという批判により、打ち切られたという記述の文献がある(現在ではむしろ障害者の門戸を狭くするという理由で逆に出演者側や団体からのクレームが来る場合もあるが、当時はこの件についてはあまり問題にされなかった)。
←ここまで
「8時だョ!全員集合」
からの引用でした。
肉まん父さん自身、いまだに「8時だョ!全員集合」スペシャルとしての特別番組(特番)が年に何回か放映される時は、見ています(ニコッ)。
ただし、今の時代に、生放送で、この当時と同じ事はできないでしょうね。
「昭和」という時代の「名物番組」だったと思います。
この時の最後に加入したメンバーの「志村けん」氏が今も、いろいろな番組で活躍しているのを「なつかしい」思いでみています(ニコッ)。
また、「志村けんのばか殿さま」シリーズも見ています(ニコッ)。
こちらは、今の時代にあわせて、「生放送」ではなく、編集されている部分も多いと思っています。
今は、「生放送」番組は減りましたね(哀)。
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