本日も当「肉まん父さんのゼロからお金を貯めよう(FX日記)」にお越し頂きありがとうございます。本当に感謝しております。これからも応援よろしくお願い致します。
しあわせだなぁ
しあわせだなぁ
肉まん父さん家での、楽しみをご紹介します。
毎日行うことはできないのですが、何日かに1度、みんなの都合がそろえば、「百人一首」を行うことです。
ここから引用です。→
真夏になっても、「百人一首」をする家庭は、今現在ではそうそう多くはないのではないでしょうか。
別に、肉まん父さん家の中には「百人一首」しかゲームがない、というわけではないのですが、なぜか、家族みんながそろってやる室内での遊びは、今のところは「百人一首」を年がら年中しています。
そして、以前は子供たちにはどう考えても、「普通に勝っていた」のですが、今は肉まん父さん家で一番「弱い」のが肉まん父さんです。
あんまん母さん、くりぃむ&ホイップ姉妹なども、たとえば「あきのためぉ〜」と最初の句を詠んだら、誰かが「はいっ」と言って取ってしまいます。
正直なところ、肉まん父さんも何枚かは、覚えている取り札もあるのですが、いかんせん、「頭」が固くなっているのでしょうか。
畳の上に、取り札を並べていった時点で負けています。
「若い」ということは、素晴らしいものですね。
感覚的に、「どの取り札はどこにあるか」ということを身体で覚えることが出来るようです。
「ドラえもん」ではないですが、「タイムマシン」というものがあるならば、「昔」の子供時代に戻って、もう一度人生をじっくりと楽しんでみたいと思っています。
あっ、また今回もとりとめのない話になってしまいましたね(ニコッ)。
←ここまで
「カルタ」
からの引用でした。
百人一首は、大正・昭和・平成と生まれた時代が違う者同士でも、同じように楽しむことができるすぐれた「遊技(ゆうぎ)」であると思っています。
義父や義母も入れば、総勢六人でやるのですが、その場合は、読み手は肉まん父さん自身です。
なぜならば、肉まん父さん自身は、読み手として、札をとる勝負に参加しても、読み手以外で札をとる勝負に参加しても、ほとんど取り札の枚数に差がないからです。
歌の内容をある程度覚えている者は、上の句を読みはじめた瞬間かすぐ後に、「はいっ」と取り札を取っていきます。
しかし、読み手の者は、下の句の最後まで読み終わらないと、取り札をとってはいけない、という、肉まん父さん家のハウスルールのため、「歌の内容を覚えている者が読み手になると不利」です。
しかし、肉まん父さんのように、ほとんど覚えていないものは、「ぼ〜」としているうちに、「はいっ」「はいっ」「はいっ」「はいっ」と場が進んでいきます。
したがって、オールキャストの時は、肉まん父さんが読み手となります。
それでも、子どもたちが小さい頃は、子どもたちと肉まん父さんの三人で、百人一首をしたときなどは、肉まん父さん自身が「読み手」として読み終わってから、札をとっても、
「おとうさんは、50枚以上とりましたね。すごいでちゅねぇ〜。」
と子どもたちにも、言ってもらえていたのが、今は、
「むすめふさほせ」やその他の覚えている札が、たまたま目の前にあったときぐらいしか取れません(苦笑)。
オールキャスト(全員勢揃い)のときは、肉まん父さんは、5枚取れたら、「御の字(おんのじ)」くらいなものでしょうか(ニコッ)。
ただ、こうやって「百人一首」を集まってできるということが
しあわせだなぁ
ということをしみじみと実感しています(ニコッ)。
タグ:しあわせだなぁ