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体罰を加える監督
体罰を加える監督
次の記事に目が留まりました。
ここから引用です。→
聞いた話と実感している話です。
息子が少年野球に参加してて。
それで先日、年長組の試合が終わって、エラーをした選手に監督が体罰を加えたと聞きました。
相手の監督さんが、見かねて止めてくれたそうです。
ここまではお友達のお母さんから聞いた話ですが、とにかく監督の横暴に困ってて。
これは私の実感です。
「指導方針に反対の親の子供は辞めてもらう」と監督は言います。
親が反対で辞めさせられても、子供は理由が納得できません。
実際、目の前で一人が有無を言わせず辞めさせられました。
地域の少年野球と言っても、ほとんどが同じ小学校の友達。
学校にも相談したんですが「関係がありません」との返事。
親がそれぞれに心の中で思ってても、なかなかまとまった声になりません。
(神戸、主婦38)
←ここまで2007年11月15日神戸新聞夕刊6頁からの引用です。
ここからは、あくまで個人的な意見です。
多数派の意見ではないかもしれませんが、お聞き流し下さい(ニコッ)。
別に、この監督の方針でよいと肉まん父さんは思っています。
先におことわりしておくと、「体罰」が正しいと思う気持ちは一切ありません
ただ、監督がいやならば辞めたらいいのです。
違うチームの監督に「前のチームの監督の方針についていけないから、辞めました」と伝えて、受け入れてくれるチームを探したらいいのです。
どこのチームも受け入れてくれなければ、それは受け入れてくれない理由があるのです。
受け入れてくれるチームに入ったらいいのです。
世の中はそんなものです。
それが「大人」の考え方だと肉まん父さんは思っています。
実際に地域の少年野球チームの現場をよく知るものとしての考えです。
今は「小学校」でも、住んでいる地域の小学校に行きたくなければ、きちんと届け出て、違う区域の公立小学校に通うことが出来ると聞いたことがあります。
少年野球でも、方針があう監督がいる少年野球チームに入り直したらいいのです。
肉まん父さん自身、自治会関係で地域の方々とお話をする機会があります。
本当に「頭が下がる」くらいの「ボランティア精神」で頑張っておられる方々が多いです。
文句を言うならば、「球拾い係」でも「救護係」でも「掃除係」でもなんでもいいから、毎週少年野球のボランティア活動に参加したらいいのです。
また、他の保護者や監督がおられる前で手を出すのですから、肉まん父さんは「筋が通っている」と思っています。
今は、子供が「小学生や中学生の子育てとして大切な時代にへんに甘く」て「子供が大きくなったら困っている」親も多いと聞いています。
世の中には「不合理」な部分も多いのです。
すべてが、自分の思い通りにいくことばかりではありません。
大人は、色々と痛い目に遭っているからわかっているのですが、子供はまだわかっていません。
そういう事実というものを、自分自身の子供にたいして、早く心の底から気付かせることも必要だと思っています。
それも「生きていくために必要な子育て」だと思っています。
いつまでも、親は子供の世話をやくことができないのです。
普通に考えたら、親の方が子供より早く90歳や100歳などを超えて「寿命」で天国に召されるのですから・・・。
あるいは、肉まん父さん家のケースのように親が子供たちから「介護」を受ける場合もあるのです。
早く「精神的に自立した子供」をつくることも考える必要があると思っています。
特に、今小学生の子供が社会人として日本を支えてくれる20〜30年後には、人数割合で言えば、1人から2人ぐらいの間で、1人の65歳以上のお年寄りの面倒をみなければいけない、という意見もあるくらいですから・・・。
大きく横にそれた話を元に戻します。
この記事中にある
「指導方針に反対の親の子供は辞めてもらう」と監督は言います。
と監督が明言されているのならば、「いやならば、辞めたらいいのです」
監督が「お願いですから、入って下さい。」と言ってきたのではないのでしょうから・・・(ニコッ)。
いやならば、近寄らないのが1番です。
以上、今回の内容はあくまでも肉まん父さんの個人的な独断と偏見に満ちた意見だとご理解頂けたらと思っております。
タグ:体罰
体罰も節度があれば構わないと個人的には思っています。
このような問題は難しいですよね。
本当に「人間関係」の問題はむずかしいと思っています。
みんなが「満足」する状態というモノが構築できる世の中であれば良いのですが・・・。
これからもよろしくお願い致します。
追伸
コメントに気付くのが遅れ、本当に申し訳ございません。
肉まん父さん
肉まん父さんマンセー
あまりにも、ストレートな表現に「ビックリ」しているところでございます。
自分の子供ならば、「しつけ」のために、おしりをたたいたり、手をたたいたり、ときには、それが顔やその他におよんだりという経験は、私自身には、何回かあります。
ただ、一昔前と違い、今は、人様のこどもを「しかる」のがむずかしい時代だと思っています。
通りすがり様をはじめ、いろいろな意見もあるとは思いますが、最終的に「しかられる子供への深い愛情」がこめられている、「なぜいまこのようにしかられるのかが子供にもわかる」また、それがまわりの人にもわかる、ような指導がされればよいのではないかと思っています。
「愛情をこめてしかる」という行動ですね。
現実的には、なかなかむずかしいとは思うのですが・・・。
これからもよろしくお願いいたします。
肉まん父さん