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農地は耕すためにある
農地は耕すためにある
神戸新聞に次の記事が掲載されていました。
ここから記事からの引用です。→
農地は耕すためにある
昨年「まちづくり」に関する法律が変わったが、心理的に大きな影響をうけはじめているのは農家である。大型店が郊外に立地できなくなっただけではなく、改正された都市計画法によって、病院や学校、市役所など各種の社会施設もまた中心市街地にしか建設できなくなったからだ。
つまり、農地の転用によって「不動産の売却益」を得る余地が狭まったのである。
もともと農家の営農意欲の有無は、農地の転用期待と裏表の関係にあった。農地を持っている人が耕作を放棄しながら他人に貸さないのは、道路や公共施設の建設の機会が訪れたとき、借り手にも権利が生じてしまうからである。
水利をよくし、区画を整え、農道を整備し、と農業(農村)に投じられた税金の額は計り知れないものがあるが、それが許されたのは「食」は生命の基礎であり、「農」が全ての源である、との理解があったからだ。
農地を売りやすくするために、基盤整備が行われるなどという了承はなかった。
兵庫県内に限らないが、農業地帯を歩いていると多くの地域で荒れ果てた田畑が広がっている。それに関して、後継者がいない、農業では利益があがらない、といった意見があるが、どうだろうか。
新規参入の希望者はいるのだ。
農地法等により新規参入を制約しながら、後継者がいないと嘆くのは変な話である。
中心市街地に高層住宅などと併せて公共施設を建設し、コストパフォーマンスを効率化する新しい法律が、目的実現よりも先に、「農地の転用期待を打ち砕く」という副次的効果をもたらしたのは皮肉である。
農地は転用のためではなく、耕すためにある。一部の地域で新規参入を受け入れる動きがあるが、その広がりに期待したい。
(なかざわ・たかお=兵庫県立大学教授)
←ここまで2007年3月23日神戸新聞夕刊1頁からの引用でした。
この記事を読んで、肉まん父さんも親戚の者から聞いている色々な話を思い出しました。
農業に携わっている者も多いのですが、それぞれ大変であると聞いています。
少子高齢化の影響がここにも現れているようです。
「農地」と言えば、肉まん父さん自身、将来的に「ゆっくり」とする時がくれば、本格的に「家庭菜園」などをやってみたいと思っています。
何年か前にあんまん母さんと、どこかの農地を借り、家庭菜園をはじめる話をしたことがあります。
さすがに、その時は、今の肉まん家の現状を予想出来ていなかったので、そういう話をしていたのですが・・・。
最近は「介護」やその他で忙しくこういう思いを忘れていましたね。
「家庭菜園」の話を思い出させてくれた、この記事に感謝しています。
これからもよろしくお願い致します。
肉まん父さん