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君、死に急ぐなかれ
君、死に急ぐ事なかれ
神戸新聞に次の記事が掲載されていました、
ここから新聞記事の引用です。→
自殺予告64人、発信者を特定
インターネットの掲示板などで自殺予告の書きこみを見つけ、思いとどまってもらおうと全国の警察がプロバイダー(接続業者)などに発信者の情報開示を求めたケースが昨年1年間で75件あり、うち60件、64人で発信者を特定出来たことが17日までに警察庁のまとめでわかった。
まとめによると、64人のうち情報を基に警察が駆け付けたところ、実際に5人が自殺を図っていた。4人は警察が保護するなどして一命を取り留めたが、1人はすでに死亡。文部科学省のホームページに書き込んだ後に自殺を図ったケースもあった。
残る59人のうち39人は、警察官らが自殺しないよう説得。20人は、いたずらの書きこみだった。昨年11月には長野県伊那市の小学校事務職員の女が、卒業生を装って別の小学校に自殺予告メールを送り、偽計業務妨害容疑で逮捕された例もある。
←ここまで2007年3月17日神戸新聞夕刊11頁からの引用です。
以上の記事内容については、「十人十色」という言葉があるように、様々な考え方があると思いますが、肉まん父さん自身は、次のように考えます。
今のインターネットのブログやホームページや掲示板その他色々なものは、多くの人が見ることが出来るはずです。
そして、一般的に何を書き込んだとしていても、それが「ウソ」だと思っていれば、反応しないはずです。
そしてこの記事内容にある「自殺予告」というものも、端から(はなから)「ウソ」だと決めつけていれば、警察も反応しないはずです。
しかし「ウソ」じゃないと思うから反応するのです。
「ウソ」じゃないと思うから「死んでほしくない」から行動をおこすのだと思っています。
警察関係の方も毎日インターネット界で「困った」ことがおきないか調べてくれているようです。
そして何よりも「命」というものは大切なものです。
だから、「自殺予告」の書きこみに、誰が頼んだのでもないのに、「ウソ」ではない、と反応して上記の記事内容のような行動をとってくれたのだと思っています。
「命」というものについては、肉まん父さんも「介護」の現実に向き合いながら、色々と現実的に考えるようになりました。
今「長生き」してほしいと願う義父や義母については、過去の記事にも紹介していますが、義父は「認知症」という診断をうけています。
もう少し細かく言うと、「アルツハイマー型認知症」です。
丁度、インフルエンザなどでも「香港A型」などがあるように、認知症もいくつかの種類があり、その中の1つだと思って頂くと、素人判断としては、大きな間違いはないと思っています。
そして、インターネット百科事典で「アルツハイマー型認知症」の定義について調べました。
アルツハイマー型認知症をインターネットで調べると次のように説明されていました。
ここから引用内容です。→
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(アルツハイマー型認知症 から転送)
移動: ナビゲーション, 検索
概略
症状は、徐々に進行する認知障害(記憶障害、見当識障害、学習の障害、注意の障害、空間認知機能、問題解決能力の障害など)であり、社会的に適応できなくなる。重度になると摂食や着替え、意思疎通などもできなくなり最終的には寝たきりになる。
階段状に進行する(すなわち、ある時点を境にはっきりと症状が悪化する)脳血管性痴呆と異なり、徐々に進行する点が特徴的。症状経過の途中で、被害妄想や幻覚(とくに幻視)が出現する場合もある。暴言・暴力・徘徊・不潔行為などの問題行動(いわゆる周辺症状)が見られることもあり、介護の上で大きな困難を伴う。
[編集] 病期分類
アルツハイマー病の病気の進行は大きく3段階に分かれる。根本的治療法の無い疾患なので下記のように慢性進行性の経過をとる。
第1期
記銘力低下で始まり、学習障害、失見当識、感情の動揺が認められるが、人格は保たれ、ニコニコしており愛想はよい。
第2期
記憶、記銘力の著明な障害に加えて高次機能障害が目立つ時期で、病理学的な異常が前頭葉に顕著なことを反映して視空間失認や地誌的見当識障害が見られる。この時期には、このような症状を反映して外出すると家に帰れなくなることが多い。更に周囲に無頓着となったり徘徊や夜間せん妄もみとめられる。特に初老期発症例では、感覚失語、構成失行、観念失行、観念運動失行、着衣失行などの高次機能障害も稀ではない。
第3期
前頭葉症状、小刻み歩行や前傾姿勢などの運動障害もみられ、最終的には失外套症候群に至る。
←ここまで引用内容でした。
義父が今診断されている病名は、「認知症」なのですが、もう少し細かく言えば「アルツハイマー型認知症」という病名です。
一般的には今ご紹介したような定義でとらえられているようです。
確かにあてはまる症状が多いです。
そして、一例として過去の記事でご紹介したような症状があります。
しかし、普段何も特異な症状が出ていない時に、肉まん父さんが義父に「おとうさん、長生きしたいですよねぇ。」と聞くと、「当たり前だよ、肉まん君。何を分かり切ったことを言っているのだね。」とニコヤカに答えてくれます。
ただし、「発作」が出た時は、自分自身でも、何をしているのか、何を言っているのか分からない状態になるのです。
人格がかわるのです。
本当の姿ではないのです。
本音は、本人も家族も長生きをのぞんでいるのです。
ただ、「発作」が出た時は、今現在の痛みから逃れたいために、「殺してくれ〜。死にたい〜。」と思わず口走ることがあるのです(幼児と同じ発想なのです)。
そして、その回数が症状によっては増えることがあるだけなのです。
あたかも、幼児が虫歯などが痛い時などに、「こんなに痛いんやったら、死んだ方がマシや」などと、言うことがありますが、それと同じようなものです。
幼児が虫歯の時に、あまりの痛さに「死んだ方がマシや」という言葉を聞いても「友達も親」も誰も、その幼児が「本当に死にたい」から言っているとは思いません。
ただ、「それくらいに虫歯が痛い」ということを伝えたいのだなぁ、ととらえます。
子どもだから「大袈裟(おおげさ)」やなぁ、という目で、「温かい(あたたかい)目」でとらえます。
義父が時々口走る「死にたい〜」という言葉も同じ原理です。
ただ、外見は立派な大人(誰が見ても老人です。高齢です。)なので、まさか冗談では、こんなことを真顔で言わないだろう、と信じているから「ビックリ」するのです。
歯医者で幼児が「こんなに虫歯が痛いんやったら、死んだ方がマシや」と言っても、多くの人は聞き流すのとは、同じ原理でも義父の場合は、外見が「大人」なので、義父のことをよく知らない人は、違う反応をされるようです。
義父が「こんなに耳痛がひどいんやったら、死んだ方がマシや」といくつかの医院の待合室で言うと、外見が大人だけに「ビックリ」されます。
しかし、どこの医院で色々な名称のレントゲンや検査をうけても「耳」の構造には何も異常が見つからないのです。
かれこれ、「耳痛」の症状は10年以上にもなりますが、それに「アルツハイマー型認知症」の症状が進行しているので、ややこしくなっているのです。
別にただの「耳痛」だけならば、「偏頭痛」と同じで「痛い〜」と自分1人で我慢して「他人」にあたることはありません。
ただ、自分1人で薬を飲んだり、医者にいったりして「自分1人」でなおそうとします。
それだけ冷静に判断出来るからです。
大人として落ち着いた行動が出来るからです。
ただ、「アルツハイマー型認知症」という今の義父の病名では、その「耳痛」にたいして、冷静な判断をさせてくれないようです。
ただ、今現在の「耳痛」から、のがれる術(すべ)がわからないから、壁に頭をうちつけるなどの、自傷行動などによって、「耳痛」から逃げようとするだけです(堅いもの、危ないものは、今は全て隠しています)。
そして、「医者にいけば治る」と信じているから、休日でも真夜中でも、「医者に連れて行け」というのです。
そして「医院」にいって、診断していただいて(何回行っても同じ診断・・・、そして前回処方していただいた薬がたくさん残っているので薬はもらいません)、家に帰って10分ぐらいすると、今「医院」から帰ってきたことも忘れるので「今日はまだ医者に行っていない医者に連れて行け」と「真剣」に言うのです。
ただ、そういう行動は、何も知らない人から見たら、「異常行動」と判断されても仕方がない行動だということもよくわかっています。
ただ、昼間に関しては、デイサービスやヘルパー様に助けて頂いているので、負担は以前に比べると、かなり減りました。
今はそれ以外の時間帯が勝負です。
ただ、医院でも何回か、その光景を目にしている方は、義父が「おはようございます。今日も私は元気に生きていますよ。」というメッセージを込めた挨拶をしている程度にとらえてくれるようです。
そして、付き添いの者に「大変ですねぇ」と言ってくれるそうです。
「十人十色」という言葉があるように、色々な考え方がありますが、今現在の肉まん父さんの大切にしているものは「命」です。
喜怒哀楽の色々な感情を含めた「命」です。
そして、「殺してくれ〜」と口走る義父自身が1番長生きしたいのです。
まわりの家族もそれに応えていきたいのです。
昔、肉まん父さんは、「人間は赤ん坊の状態から成長して心身共に大人になり、また赤ん坊の状態に戻り、土にかえっていく」というような言葉を聞いたような記憶がありますが、今の義父の状態がまさに、「赤ん坊の状態」に戻ろうとしているのだなぁ、「お父さん、今まで色々とご苦労様でした」という気持ちになってきています。
「赤ん坊」は何か「不快」な状態があると「がまん」することはせずに、すぐに態度にあらわします。義父も「素直」に自分の「不快な状態」をまわりに伝えているだけです。そういうことが実感としてわかるようになりました。
だから、少々「しんどい」思いも乗り越えていくことが出来るのです。
すぐには出来ませんが、何事も前向きにとらえて、生きていけるようになろうと思っています。
今までの人生とは、また違った考え方を吸収出来るチャンスだととらえるようにしています。
義父と色々なところに行くと、色々な人の対応に気付かされます。
温かい対応や、あまり温かくない対応(これが自然かもしれないと現実として素直に受けとめることができるようになってきました)もあります。
全て「自然」なことと受けとめるようにしています。
色々な立場の人の考え方を吸収出来るチャンスだととらえています。
負けません。頑張りますよ(ニコッ)。
これからもよろしくお願い致します。
肉まん父さん